先日、伊丹市立美術館で観てきました。
駅から美術館までしか歩いていませんが、
古い建物とも違和感のない
景観に気を配った町づくりが、なされているようです。
特筆すべきは伊丹小学校。
急勾配の屋根の美しい校舎が遠くからも見えます。
高い壁ではなくて、低い生垣で囲まれているんですね。
とても開放感があり、気持が良い。
外から丸見えでも、生垣が幅すごい幅だから、不審者もなかなか入れない。
こんな学校なら、もう一度通いたいと思いました。
さて、山下清画伯の絵。感動しました。
細かけりゃ良いってもんではもちろんないのですが、圧倒されます。
自画像の背景の壁、お花の後ろの壁。
壁紙なのか単なる柄なのかわかりませんが、とにかく執拗に細かい。
かといって「すごいだろ!」って、自己主張していないんですよ。
そこがね、個性でもあり、ちょっと怖いところでもあるんです。
ヘンリー・ダーガーや、高村智恵子の貼り絵と同じ怖さです。
見てはいけない「違う次元」を見てしまったような、そんな怖さです。
●ヘンリーダーガー
●高村智恵子
画伯の絵といえば、花火の絵の鮮やかさを思い出される方が多いと思うのですが、
シックな色合いの絵が多いのにも驚きました。渋くてお洒落。
それから、一番意外だったのが「自画像」。
今回の展覧会のポスターにもなっていたのですが、かなり写実的なんです。
多くの風景画のなかに小さく描かれる人々は、ホントに適当な扱いで、
顔は「前」・「横」・「後」の3パターンのみ。表情なし。
まったく生き生きしていない。
たぶん、人に興味がないんだろうな~って思っていました。
興味がないから描けなくなったんだろう、と。
そこで、自画像・・・バッチリ描けるんですよ。
だけど、人物(自分)の内面やら躍動感やらを表現しようって訳じゃなくて、
お花やニワトリと同様に、細部を見て描こう!って考えただけなんですね。きっと。
たぶん、人にあまり興味がないというのは、間違いないでしょう。
画伯が書いた『日本ぶらりぶらり』という本を何年か前に読みました、
稚拙な印象はあるものの、とても面白くて、サラサラ読めるんです。
高尚か稚拙かにかかわらず、詰まっちゃう文章ってあるじゃないですか。
テレビの『裸の大将』のぼんやりした印象があったんだから、
誰かの代筆かと思っていたのです。
が、展示品に日記帳がありました。
特別上手いとは言えないものの、読み安い字、誤字脱字がほとんどないないのです。
文体も、本そのまま。大変失礼しました。
最後に本人が登場するビデオを見ました。
なぜか、お金持ちの家の応接室風のセットのなかで、画伯が制作しています。
花火の絵を描いて(貼って)ました。
ビックリするようなスピードで的確に作業をすすめています。
モーツアルトの頭の中には完璧な楽譜があって、
作曲はそれを書き出すだけだった、
っていうようなことを聞いたようなことがあるような(ないような)。
まさにそんな感じ。
消えてしまわないうちに、大急ぎで出しきっちゃいましょう!というような勢いです。
始めはスラックス&ベルトをしていたのに、
そしてセットの窓が夜モードになる頃にはデカパン一丁!
真剣勝負は薄着で挑むんでしょうね。
有名な大先生と思われる陶芸家の下で絵付けをしているときも、パンツ一丁でした。
みんな見てましたよね?テレビの『裸の大将』。
シチュエーションは作られたものであっても、
お人柄にあまり嘘はなかったようで、なんだか嬉しくなりました。
帰り道、「野に咲く~花のように~」と、うたいながら歩きました。