数年前、大阪市の大正区に住んでいたころ、大正ツアーを企画したことがあります。
約20名ほどが集まり、
渡し舟・商店街・チャイ工房・エイサー祭り・うるま御殿を楽しみました。
初対面の参加者の一人の30代前半の男性は「祭好き」で、
エイサー祭りが目的で来てくれた、ということでした。
打ち上げのうるま御殿では、
参加者全員が泡盛を飲んで陽気に踊るなか、
タコのようなオリジナルのダンスでひとり異彩を放っていました。
目を閉じ、トランス状態。
誰かに見せる、という意思は感じられません。じっくり、ひとり楽しんでいます。
かなりの遊び上級者だと思いました。
エイサー祭は自由行動だったので、
どういった楽しみ方をされていたのは不明ですが、
私も「祭り」に興味を持ちました。
同じころ、茶道を習っていたこともあり、
「暦」「季節の風物詩」などにちょっと興味がでてきました。
そんなことをしているうちに、
「季節に敏感に生活をすると、良い歳のとり方ができるんではないか」
という考えが浮かびました。
「とにかく仕事が忙しい。旬の食べものなんて知らないよ。」
というのは、ハシゴのような人生。
見下ろしたときに、今まで登ってきた距離が計りにくい。自分が歳をとってる自覚が薄い。
それに対して、らせん階段を登るように、季節に敏感に生きていると、「去年の春は・・・」「2年前の冬は」なんてことが、花や季節の風物詩とリンクして、鮮やかに思い出すことができ、自分の年齢を受け入れやすいのではないかと思うのです。
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特に地元のお祭などに参加している人は、神輿に乗っていた子供が、あっと言う間に青年団に入って担ぐような青年に成長しているのを目の当たりにしたりなんかして、時の流れには抗えないというのを身をもって感じるのではないでしょうか。
かく言う私は、まだまだハシゴから降りられなさそうです。
観念したいような、やっぱり抗いたいような。