実家に居るころ、母親に「美紀ちゃん、おにぎりしてあげたよ~」と言われる度に、
気持がモヤっとしました。いや、カッチーンとしてました。
「・・・してあげたって、握ってるだけやん!
 ご飯はお茶碗で食べるから、握る手間をおかず作りにまわしてくれ!」
 口には出しませんでしたけど。
話は変わって、かもめ食堂。
40歳ぐらいの、日本人女性(小林聡美)が、フィンランドで
おにぎりが看板メニューである日本食の食堂を開きます。
見た目は標準的な日本人女性ですが、合気道をずっと続けているせいか、
たいへん所作の美しい、もの静かで礼儀正しい、「いまどき」でない女性。
閑古鳥が鳴いていたかもめ食堂の、第一号のお客さんは日本オタクの若者でした。
その後、旅行者の片桐はいりともたいまさこがスタッフとして加わり、
淡々と楽しく食堂を運営。
そのうちにお店にもお客さんも増えていく、という内容です。
楽しい映画です。
でもね、不思議なんですよ。
主人公、ほんときちんとしているのに、
映画の中で出会ったヒト以外の人間関係がゼロ。
単に外国に住むだけでも、すごいことなのに、
お店を作るって大変なことじゃないですか。
住居を借りる、お店を借りる、お店を出す手続きをする、
お店の内装をお願いする、食料の仕入れ等々、
現地のヒトにかなり関わって、迷惑をかけた・・・という序章がないと、
映画=お店がはじまらないはずなのに、全く描かれていません。影もない。
ふつうだったら、オープン時には、義理でも内装屋さんとか、大家さんとか、
だれか1人ぐらいはお店に来てくれると思うんですけどね。
現地の言葉もきちんと話す、めっちゃ礼儀正しい女性なのに。
支払いも、きっちりしそうやし。
その誰にもかかわりもせず、
迷惑もかけてなさそうな主人公は、
日本人オタクに第一号様と称して毎回コーヒーを無料で提供し、
酔いどれたご婦人を助け、見ず知らずの旅行者を受け入れるんですね。
してあげてばっかり。
与えるばかりの人間関係。
現実問題そりゃ、無理でしょ。北欧で。
う~ん、ここは映画に多少なりとも、
描くべきところではなかったのかな~って思うのでした。
と、文句を言いましたが、
かもめ食堂はとても雰囲気の良いお店で、
おにぎりもめっちゃ美味しそう。近所にあれば、きっと通ってます。
この映画を観たつぎの日の晩ごはんは「おにぎり」にしました。
おにぎりとお味噌汁だけ。テレビをみながらボサ~っと手で食べました。
美味しいです。たまには良いもんです。
でも、やっぱり「握ってあげた」っていわれると、
「わざわざ握らんでエエがな」って思ちゃうでしょうね~。
おにぎりって、母性の塊っていうか、
ちょっぴり神聖視されているところが、違和感を感じます。
おにぎりそのものではなく、おにぎりの捉えられ方が苦手。
この映画でもおにぎりは、何かを象徴していたんだと思います。
みんな、おにぎりに特別な思い入れが、あるんでしょうかねぇ・・・。